宮城県登米市南方町の大嶽山興福寺は、奥州三十三観音霊場で、通称「大嶽の観音さん」と呼ばれている。
風景の写真・興福寺 1 [ 6 -1 ]
撮影場所 大嶽山興福寺(登米市南方町)
撮影日 2021/07/23 13:29:37
カメラ NIKON D810
レンズ AF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8E ED VR
明治17年に建てられたこの六角堂は、当時の建築様式に一石を投じる斬新さで注目を浴びました。横18.6尺、縦15.5尺の二階建て土蔵造りでありながら、その外観には洋風の影響が感じられます。特に、青色の六角形の屋根は、その名の由来となっている特徴的な形状です。
風景の写真・興福寺 1 [ 6 -2 ]
撮影日 2021/07/23 13:29:49
カメラ NIKON D810
レンズ AF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8E ED VR
風景の写真・興福寺 1 [ 6 -3 ]
撮影日 2021/07/23 13:30:16
カメラ NIKON D810
レンズ AF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8E ED VR
風景の写真・興福寺 1 [ 5 -1 ]
撮影場所 大嶽山興福寺(登米市南方町)
撮影日 2021/07/23 13:31:19
カメラ NIKON D810
レンズ AF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8E ED VR
この寺院の起源については、平安時代にさかのぼります。807年、征夷大将軍であった坂上田村麻呂が、この地を支配していた豪族・大武丸を討伐しました。その後、大武丸の亡骸を葬った塚の上に観音堂が建てられ、寺院の歴史が始まったとされています。
風景の写真・興福寺 1 [ 5 -2 ]
撮影日 2021/07/23 13:43:11
カメラ NIKON D810
レンズ AF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8E ED VR
風景の写真・興福寺 1 [ 5 -3 ]
撮影日 2021/07/23 13:36:50
カメラ NIKON D810
レンズ AF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8E ED VR
風景の写真・興福寺 1 [ 5 -4 ]
撮影日 2021/07/23 12:24:44
カメラ NIKON D810
レンズ AF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8E ED VR
興福寺の周辺には、薬師堂、白山堂、鐘楼、六角堂などが点在し、それぞれが歴史の面影を今に伝えています。特に毎年4月には、大嶽山春まつりが開催され、稚児行列などの伝統行事が行われます。このお祭りは地元の人々だけでなく、多くの観光客にも愛されています。
孟宗は、幼い時に父親亡くし、老いた病気の母親と暮らしていた。ある冬の日、母親が筍が食べたいと言った。孟宗は竹林に行って冬にあるはずのない筍であったが、涙ながらに天に祈りながら雪を掘ってると土の中から筍が沢山出て来た。その筍を持ち帰り熱い汁物を作って母に与えると、たちまち病も癒え病気を治す事が出来た。孟宗竹の語源?
庾黔婁(ゆけんろう)は、地方の役人になって間もなく、父の病気かと思い胸騒ぎがしてならなく家に帰ると、案の定大病を患っていた。庾黔婁(ゆけんろう)は、悲しみに耐え切れず、北斗七星(北極星)に自分が身代わりになることを祈り続けた。
風景の写真・興福寺 1 [ 4 -1 ]
撮影場所 大嶽山興福寺(登米市南方町)
撮影日 2021/07/23 13:04:27
カメラ NIKON D810
レンズ AF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8E ED VR
風景の写真・興福寺 1 [ 4 -2 ]
撮影日 2021/07/23 13:06:58
カメラ NIKON D810
レンズ AF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8E ED VR
貧しい家の郭巨(かくきょ)は、母と妻そして3歳になる幼い子供と暮らしていた。母は孫を可愛がり、自分の少ない食事を分け与えていた。郭巨は妻に、「我が家は貧しく母の食事さえも足りないのに、孫に分けていては生活を続ける事は出来ない。子供はまた授かるだろうが、母親は二度と授からない。この子を埋めて母を養おう」と。泣きくれる妻であったが、夫の命には従い子を連れて埋めに行く事となった。涙を流しながら地面を掘ると、黄金の釜が出てきた。その黄金を手にし子供と一緒に家に帰って、さらに母に孝行を尽くす事が出来た。
楊香(ようこう)は、父と山に行った時の事、虎が躍り出て、2人を食べようとした。楊香は天の神に「どうか私だけを食べて、父は助けて下さいませ」と懸命に祈ったところそれまで猛り狂っていた虎が尻尾を巻いて逃げてしまい、父子共に命が助かった。
風景の写真・興福寺 1 [ 4 -3 ]
撮影日 2021/07/23 13:08:32
カメラ NIKON D810
レンズ AF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8E ED VR
風景の写真・興福寺 1 [ 4 -4 ]
撮影日 2021/07/23 13:10:51
カメラ NIKON D810
レンズ AF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8E ED VR
風景の写真・興福寺 1 [ 4 -5 ]
撮影日 2021/07/23 13:12:07
カメラ NIKON D810
レンズ AF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8E ED VR
6歳になる陸績は、袁術と言う人の行った時の事である。おやつとして与えられた蜜柑をしまおうとして袖から蜜柑がこぼれてしまった。袁術はこれをみてさもしいことだと笑った。陸績は「あまりに見事な蜜柑なので、家に持ち帰って母に食べさせ、恩に報いようと思いました」と言った。袁術はこれを聞いて幼い子供の母への思いに感動した。
風景の写真・興福寺 1 [ 3 -1 ]
撮影場所 大嶽山興福寺(登米市南方町)
撮影日 2021/07/23 13:01:55
カメラ NIKON D810
レンズ AF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8E ED VR
現在の観音堂は、明治21年に5年歳月かけ再建されたもので、内陣には、伊達家の紋章である「竹に雀」が施されており、奥には33年に一度だけ開帳される「本尊・秘仏十一面観音菩薩」が祀られています。また、観音堂の外側の板壁には、中国の「二十四孝物語」が彫り物として色鮮やかに刻まれています。
風景の写真・興福寺 1 [ 3 -2 ]
撮影日 2021/07/23 13:01:07
カメラ NIKON D810
レンズ AF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8E ED VR
本尊は十一面観世音菩薩で、奥州三十三観音霊場第10番札所である。
風景の写真・興福寺 1 [ 2 -1 ]
撮影場所 大嶽山興福寺(登米市南方町)
撮影日 2021/07/23 12:48:36
カメラ NIKON D810
レンズ AF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8E ED VR
風景の写真・興福寺 1 [ 2 -2 ]
撮影日 2021/07/23 12:45:50
カメラ NIKON D810
レンズ AF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8E ED VR
風景の写真・興福寺 1 [ 1 -1 ]
撮影場所 大嶽山興福寺(登米市南方町)
撮影日 2021/07/23 12:23:51
カメラ NIKON D810
レンズ AF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8E ED VR
山号 大嶽山
宗派 天台宗
本尊 十一面観世音菩薩
創建年 (伝) 大同2年(807年)
開基 (伝) 坂上田村麻呂
札所等 奥州三十三観音第30番札所