風景の写真・ 上杉家御廟所 1 [ 1 -1 ]
撮影場所 上杉家御廟所 (山形県米沢市御廟)
撮影日 2018/07/25 12:03:31
カメラ NIKON D810
レンズ AF-S NIKKOR 24-120mm f/4G ED VR
上杉家 軍旗
「毘」北方の守護神 戦の神様「毘沙門天」を表す。
「龍」不動明王を表したもので流れるような龍の文字で「懸かり乱れ龍」
上杉軍が敵に総攻撃を仕掛ける際、上杉軍の本陣に立てられた旗印
撮影場所 米沢城址
藩政時代と明治以降現在まで
江戸時代には、上杉謙信公霊廟はここにはなかった。越後春日山から会津を経て米沢へ遷され、米沢城本丸に祀られていたのである。二代景勝公が逝去されこの地が墓所に定められ景勝公を中心に左右交互に廟が建てられていた。参道は、今より前方に延びており、その周囲には、千基を超える石灯篭が寄進されていたと言う。
時代は江戸から明治に代わり廃藩置県により米沢城が解体され、明治9年に謙信公の御遺骸はここに移動され正面に謙信公の廟屋、向って左に上杉景勝の廟屋・・・12代斉定公まで左右交互に建てられ現在の形になった。
上杉家御廟所
上杉謙信公霊廟を中央にその左右に歴代藩主十二代が祀られている米沢藩歴代藩主の墓所である。昭和59年1月11日に、全国の大名家墓所としては5番目に、国指定史跡に登録されている。登録上の正式名称は「米沢藩主上杉家墓所」である。
風景の写真・ 上杉家御廟所 1 [ 1-4 ]
撮影日 2018/07/25 12:05:337
カメラ NIKON D810
レンズ AF-S NIKKOR 24-120mm f/4G ED VR
上杉謙信公は、越後の春日山城で亡くなられると、御遺骸は、漆を塗り甲冑を着せて埋葬され越後~会津~米沢城を経てこの地に。2代景勝から8代重定までは火葬での埋葬が行われ、御堂は入母屋造りの建造物。9代治憲から12代斉定までは土葬となり、藩の財政もあり御堂も宝形造りとなっている。