風景の写真・三沢航空博物館 2 [ 1- 1 ]
撮影場所 青森県立三沢航空科学館
撮影日 2022/09/10 10:50:24
カメラ NIKON D810
レンズ AF-S NIKKOR 14-24mm f/2.8G ED
1931年、クライド・パングボーンとヒュー・ハーンドンは、青森県三沢村の淋代海岸から、ミス・ビードル号に乗って、北太平洋を無着陸で横断するという、歴史的な飛行を行いました。10月4日に離陸し、41時間後の10月5日、ミス・ビードル号は、アメリカ合衆国のワシントン州ワナッチー市に着陸しました。
風景の写真・三沢航空博物館 2 [ 1- 2 ]
撮影日 2022/09/10 10:55:18
カメラ NIKON D810
レンズ AF-S NIKKOR 14-24mm f/2.8G ED
パングボーンとハーンドンの業績は画期的で、彼らは北太平洋を無着陸で横断した最初のパイロットとなりました。この飛行の功績により、パングボーンとハーンドンは、その年に最も優れた飛行を行ったパイロットに贈られるハーモン・トロフィーを受賞しました。
風景の写真・三沢航空博物館 2 [ 2 - 1 ]
撮影場所 青森県立三沢航空科学館
撮影日 2022/09/10 11:24:32
カメラ NIKON D810
レンズ AF-S NIKKOR 14-24mm f/2.8G ED
風景の写真・三沢航空博物館 2 [ 2 - 2 ]
撮影日 2022/09/10 11:39:49
カメラ NIKON D810
レンズ AF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8E ED VR
三沢市にある三沢航空科学館は、日本の航空史に深く関わる場所として注目されています。三沢市大空ひろばの一角に立地する三沢航空科学館は、地上3階建ての建物で、航空ゾーンと科学ゾーンの2つのゾーンで構成されています。
1階の航空ゾーンでは、日本エアコミューターで使用されたYS-11の機体をそのまま展示しています。当時の面影を残す機体内外を見学することができます。また、初の太平洋無着陸横断飛行を成し遂げたミス・ビードル号のレプリカも展示しており、
航空史に触れることができます。
2階の科学ゾーンでは、科学体験のフロアがあります。実際に体験や実験などができるコーナーがあり、子供から大人まで楽しめる内容となっていおり、航空機に関する科学的な知識を学ぶことができます。
3階には展望デッキがあり、三沢飛行場を一望することができます。飛行場に離着陸する航空機の姿を間近で見ることができ、
航空機の魅力をさらに感じることができます。
三沢航空科学館は、航空機の歴史に触れ、科学的な知識を学ぶことができる場所として、子供から大人まで楽しめる施設です。日本の航空史と科学の世界を体験的に学ぶことができ、航空機の魅力に触れることができます。
是非、足を運んでみてはいかがでしょうか。
HondaJet POC 技術実証機
HondaJet POCは、2003年12月に成功裏に初飛行を果たし、画期的なHondaJetの道を切り開きました。2年後の2005年、世界最大の航空ショーであるEAA AirVenture OshkoshでHondaJet POCが初めて世界に公開されました。HondaJet POCは、独自のオーバー・ザ・ウィング・エンジン・マウント(OTWEM)設計と量産前のHF118エンジンを備えており、効率的で快適な航空機を創造するホンダの確固たる決意を示しました。
HondaJet POCのOTWEM設計により、より広々としたキャビン、より静かな動作、より少ない抵抗を実現しています。また、軽量設計と燃費効率により、驚異的な速度と航続距離を実現しています。
Hondaの先駆的な精神と卓越した技術は、HondaJet POCにも明確に表れています。HondaJet POCの成功は、ビジネス航空産業に革命をもたらすHondaJetの礎となりました。
HondaJet POCは、革新と卓越に対するホンダの不断の取り組みを証明する存在です。画期的な設計と先進的な技術により、HondaJetの道を切り開き、航空産業を再定義しました。その効率性、快適性、パフォーマンスの絶妙な組み合わせにより、HondaJetはホンダが可能性の限界に挑戦することを示す典型例です。
風景の写真・三沢航空博物館 2 [ 4 - 1 ]
撮影場所 青森県立三沢航空科学館
撮影日 2022/09/10 10:19:30
カメラ NIKON D810
レンズ AF-S NIKKOR 14-24mm f/2.8G ED
1954年に航空自衛隊が創設された際、アメリカから供与されたF-86F戦闘機は、当初はパイロットの訓練に用いられる予定でした。しかし、その後は訓練支援や通信タスク、デスクワークパイロットなどにも広く利用されるようになりました。さらに、年次飛行のための飛行時間維持にも活用されました。
1970年代には、T-33はF-104の空戦訓練の仮想敵機として使用されました。このT-33は、日本では公式愛称の「若鷹」やアメリカの愛称である「シューティングスター」よりも、型番に由来する「サンサン」という名前で親しまれていました。
しかしながら、1980年代後半には老朽化が進み、後継機の川崎T-4への置き換えが進められるようになりました。そして、2002年までには全てのT-33が退役する予定でした。
しかし、1999年11月22日に入間基地の航空総隊所属の1機に機体故障が生じ、乗員2名が殉職する事故が発生しました。この事故を受けて、残っていた8機のT-33全機が飛行停止となり、地上に留置されることとなりました。そして、2000年6月にこれらの機体は除籍されました。航空自衛隊が保有した全278機のうち、59機が事故によって喪失してしまいました。
今では、T-33は航空自衛隊の歴史的な存在として、多くの人々に愛され続けています。
風景の写真・三沢航空博物館 2 [ 4 - 2 ]
撮影日 2022/09/10 10:22:53
カメラ NIKON D810
レンズ AF-S NIKKOR 14-24mm f/2.8G ED
陸上自衛隊がMU-2Cを連絡偵察機として使用し、駐屯地の連絡輸送や偵察任務に活躍したのは周知の事実だ。LR-1としても知られるこの機体は、1967年5月11日に初飛行を果たし、1969年以降、20機が生産され、1984年までに配備された。
LR-1は、空自のMU-2Sと同様に、キャビンに与圧装置を搭載していないため、乗員2人と乗客5人を搭載することができた(ただし、後期に製造された機体には与圧キャビンが装備されていた)。また、偵察任務では、JKA-30Aカメラ2基と12.7mm重機関銃M2を2挺搭載することが可能だった。
沖縄県の第101飛行隊に配備されたLR-1は、通常の迷彩塗装とは異なり、オリーブドラブを基調とした白とオレンジ色の塗装が施されていたことで知られている。
しかし、LR-1の老朽化に伴い、陸上自衛隊は後継機のLR-2を導入することとなり、2000年からはレイセオン製ビーチ 350 キングエアが配備され始めた。そして、2016年2月15日、最後のフライトを終え、LR-1は役目を終えることになった。
風景の写真・三沢航空博物館 2 [ 4 - 3 ]
撮影日 2022/09/10 10:23:42
カメラ NIKON D810
レンズ AF-S NIKKOR 14-24mm f/2.8G ED
この戦闘機は、全幅11.7m、全長19.2m、全高5.0mで、2人乗りの戦闘機です。エンジンは2基搭載し、その名称はJ79-GE(IHI)-17です。性能面については、最大速度はマッハ約2.2で、航続距離は約2,900kmです。武装には、20mm機関砲、空対空レーダーミサイル、空対空赤外線ミサイルが備わっています。
F-4EJは、米空軍のF-4Eを改造して、日本で運用するために要らない装備を取り除き、要撃戦闘機用のデータ・リンクを装備した戦闘機です。1981年度に生産が完了し、その後、航空自衛隊の防空能力向上と航空機の近代化の一環として、F-4EJ(改)の改修作業が始まりました。1981年度から6年間にわたり、試改修や実用試験が行われた後、量産改修されました。
改修作業の主な内容は、レーダーや火器管制システム(FCS)の近代化、航法や通信能力の向上、搭載ミサイルの近代化、爆撃機能の向上などです。